スマートシティにおける健康・医療分野でのデータ連携と活用:政策、技術、実証連携の研究動向
はじめに
スマートシティの概念は、都市が抱える様々な課題を解決するためにテクノロジーとデータを活用することを目指しています。その中でも、人々の健康と生活の質に関わる健康・医療分野は、超高齢社会の進展や医療費の増加といった喫緊の課題解決に不可欠な要素として注目されています。スマートシティにおいて健康・医療データを効果的に連携・活用することは、予防医療の推進、医療提供体制の最適化、新たなヘルスケアサービスの創出に繋がり、市民のWell-being向上に貢献する可能性を秘めています。
本稿では、スマートシティにおける健康・医療データの連携と活用に関する最新の政策動向、それを支える技術開発、そして国内外における実証連携の現状と研究動向について概観し、今後の研究開発および政策立案に向けた示唆を提供いたします。
健康・医療データ活用の現状と技術的課題
健康・医療データは多岐にわたります。電子カルテデータ、レセプトデータ、健診データといった従来型の医療機関由来のデータに加え、近年ではウェアラブルデバイスやスマートフォンから得られるPHR(Personal Health Record)、自宅での生体情報モニタリングデータ、さらには生活環境データ(大気質、騒音、気温など)や行動データ(移動履歴、購買履歴など)といった多様なデータが生成されています。
これらのデータをスマートシティの枠組みの中で連携・活用するためには、いくつかの重要な技術的課題が存在します。
- データの標準化と相互運用性: 異なる医療機関やデバイス、システム間で生成されるデータの形式や構造は統一されていません。標準化されたデータモデル(例: HL7 FHIR)の採用や、データ連携のためのAPI設計が不可欠です。
- プライバシー保護とセキュリティ: 健康・医療データは極めて機微性の高い個人情報を含んでいます。匿名化、仮名化、差分プライバシー、セキュアマルチパーティ計算(SMPC)といったプライバシー保護技術の適用が必須であり、同時にサイバーセキュリティ対策も高度なレベルで求められます。
- データ品質と信頼性: 様々なソースから収集されるデータの品質は一定ではありません。データクリーニング、欠損値補完、異常値検出、そしてデータの信頼性を評価する技術が必要です。
- リアルタイム処理と分析: 救急医療支援や感染症クラスター分析など、リアルタイムまたは準リアルタイムでのデータ収集、集約、分析が求められるケースが増えています。エッジコンピューティングや高速データ処理技術の研究開発が進んでいます。
- データ統合と分析基盤: 異なる種類の健康・医療データを統合し、横断的に分析するためのスケーラブルかつセキュアなデータプラットフォームの構築が重要な技術課題です。
関連する国内外の政策動向
健康・医療データの活用を推進するため、国内外で様々な政策が進められています。
日本では、「データヘルス改革」の下、医療情報に関する制度設計が進められており、全国医療情報プラットフォームの構築などが議論されています。また、「次世代医療基盤法」に基づき、匿名加工医療情報を作成・提供する事業が実施されています。スマートシティ関連では、内閣府のスマートシティ戦略等においても、医療・ヘルスケア分野は重点領域の一つと位置づけられています。地域においては、自治体が中心となり、地域医療連携ネットワークの整備やPHR活用に向けた取り組みが進められています。
国際的には、欧州連合(EU)における「欧州健康データスペース(EHDS)」の構想などが注目されています。これは、加盟国間での健康データの安全な共有と活用を目指すもので、研究、イノベーション、政策立案を促進することを目的としています。米国でも、医療保険の相互運用性と説明責任に関する法律(HIPAA)に則りつつ、医療データの電子的交換を促進する政策が進められています。これらの政策は、データ連携のルールメイキング、プライバシー保護の枠組み、そしてデータ利活用を促進するためのインセンティブ設計といった点で参考になります。
政策の焦点は、単にデータを集めるだけでなく、データのガバナンス、責任の所在、そして市民のデータに対するコントロール権(アクセスの容易化、利用同意の管理など)をどのように設計するかに移ってきています。
研究開発の最前線と実証連携の事例
健康・医療データ活用の研究開発は、AI、データサイエンス、情報セキュリティ、センサー技術、ヒューマンコンピュータインタラクションなど多岐にわたる分野で進められています。
- AIによる診断・治療支援: 画像診断支援(例: X線、MRIからの疾患検出)、病理診断、個別化医療のための遺伝子データ解析などが活発に行われています。
- 予防医療と健康増進: ウェアラブルデータやPHRデータを用いた生活習慣病リスク予測、メンタルヘルス状態のモニタリング、高齢者の転倒リスク予測などの研究が進み、市民へのパーソナライズされた健康アドバイス提供が試みられています。
- 感染症対策: 位置情報データや検査データ、医療機関の稼働状況データなどを連携させ、感染症のアウトブレイク予測やクラスター分析、医療リソースの適正配置に関する研究が進んでいます。
- 医療提供体制の最適化: AIを用いた救急搬送先の決定支援、病床管理の最適化、遠隔医療システムにおけるデータの効率的な送受信・活用などが研究されています。
- プライバシー保護技術の応用: 連合学習(Federated Learning)など、データを一箇所に集約することなく、各ノード(病院、デバイス)で学習を行い、モデルのみを共有する手法の研究が進められており、プライバシー懸念を低減するアプローチとして期待されています。
これらの研究成果を社会実装するためには、実証連携が不可欠です。国内外のスマートシティプロジェクトやリビングラボにおいて、医療機関、研究機関、自治体、企業、市民が連携した実証実験が行われています。例えば、特定の都市エリアにおける高齢者の見守りサービスにおけるウェアラブルデータの活用と地域包括ケアシステムとの連携、地域住民のPHRデータを活用した健康増進プログラムの効果検証、AIを活用した遠隔診療システムの実証などが報告されています。これらの実証からは、技術的な実現可能性だけでなく、制度的課題、倫理的課題、そして市民の受容性に関する貴重なデータや示唆が得られています。
結論と今後の展望
スマートシティにおける健康・医療データの連携と活用は、市民の健康寿命延伸と都市の持続可能性にとって極めて重要なテーマです。技術的な進展は目覚ましいものの、データの標準化、プライバシー保護、相互運用性といった基本的な課題への継続的な取り組みが必要です。
今後の展望としては、以下の点が重要になると考えられます。
- データガバナンスの確立: データの収集、管理、共有、利用に関するルールを、技術的側面だけでなく、倫理的・法的な側面からも明確にし、市民の信頼を得ることが不可欠です。
- 分野横断的なデータ連携: 健康・医療データだけでなく、交通、環境、経済活動など、都市の他の分野で得られるデータとの連携により、健康の社会的決定要因(Social Determinants of Health)に関する理解を深め、より包括的な政策立案やサービス開発に繋げる必要があります。
- 市民参加の促進: 市民が自身の健康データをコントロールできる仕組みを整備し、データ提供に対する透明性のある説明とインセンティブ設計を行うことで、データ収集の円滑化とサービスへの積極的な参加を促すことが重要です。
- 新たな研究テーマの創出: 多様な都市データと健康・医療データを組み合わせた予測モデル開発、データに基づく健康格差分析と解消に向けた介入策の評価、AIの判断に対する説明可能性(Explainable AI)の向上など、新たな学術的挑戦が求められています。
- 政策と研究の継続的な対話: 最先端の研究成果を政策に反映させ、また政策課題を研究テーマとしてフィードバックする、双方向の対話メカニズムを強化することが、実効性のあるスマートヘルスシティの実現に繋がります。
行政担当者にとっては、データ連携基盤の整備、関連法規のアップデート、そして実証事業への支援が重要な役割となります。研究者にとっては、技術的な課題解決に加え、社会科学、医学、公衆衛生学など異分野との連携、そして実証を通じた社会実装プロセスの研究が求められます。本稿が、スマートシティにおける健康・医療分野の研究と政策推進に向けた一助となれば幸いです。